特定の個人に依存しない「健全な世界」
以前、「会社は従業員に甘えるな」という記事を書きました。従業員のプロ意識や献身に過度に依存する組織は、果たして持続可能と言えるでしょうか?私としては、それは危うい状態だと感じます。
しかし一方で、「決められた仕事だけしかしない」という姿勢に寂しさを感じる人もいるのではないでしょうか。人生の大部分を費やす労働は、自己実現の大きな手段であり、職業に捧げたその犠牲は私たち自身の誇りの源でもあります。私も時に街で見かけた方が、真摯に仕事に取り組む姿を見ると、労働は美しいと感じます。
「魔王」や「勇者」が不要な社会システム
私たちの生活を支える上で不可欠なのは、食料生産を担う第一次産業、特に農業でしょう。農業は、特定の誰か一人がいなくなった途端に機能しなくなるような仕事でしょうか?もちろん、重要な知識や技術が失われるリスクはありますが、基本的な仕組みは維持されるはずです。イーロン・マスク氏がいなくなると経営が傾く企業はあるかもしれませんが、農業はそうではありません。
これは、特定の「魔王」や「勇者」の存在に世界の命運が左右されるような物語の世界ではなく、個人の卓越した能力に過度に依存しない、より普遍的で堅牢な社会システムが理想的だという考えです。
会社からの「おせっかい」と、それに対する割り切り
最近、多くの企業が従業員の安定した労働力確保のため、社員教育と称して個人の生活にまで踏み込んだ要求をしてくることがあります。
- タバコを吸うな
- お酒は控えめに
- 塩分を控えて血圧を低くしろ
- 睡眠をしっかりとれ
- ヨガでも瞑想でも何でもいいから、精神を安定させろ
こうした会社からの要求を、真剣に受け止める必要はありません。問題なのは、あなたが会社から受け取る給与に見合った労働を提供しているか、最低限の職務記述(ジョブディスクリプション)を満たしているか、そして解雇されるような行為をしていないか、この程度で十分です。
まずは、会社に対する過剰なサービスは不要だと割り切ってみましょう。
農業のように、一日一日、一年一年を繰り返す。多くの人にとって仕事とはそういうものです。
「やりがい」と「自己決定権」
仕事にやりがいを感じられない場合、「そういうものだ」と割り切るのも一つの方法です。近年話題になった「静かな退職」(Quiet Quitting)のように、最低限の仕事に留め、余暇を充実させる選択をする人もいるでしょう。
しかし、もし仕事にやりがいを感じたい、もう少し頑張りたい、自分の職務記述を超えて何かを変えていきたい、そう思うのであれば、それはそれで素晴らしいことです。 健康管理に関しても同様ですが、私が最も重要だと考えるのは自己決定権です。あくまでも選択肢は従業員側にあるべきなのです。
あなたは仕事に何を求め、どのように働きたいですか?その「鐘」を鳴らすのは、他ならぬあなた自身です。