drambuieの日記

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無断欠勤がルールの会社:普通の人には想像できないかもしれない体内時計

無断欠勤がルール? 体内時計が社会生活とズレる人々の現実

新聞記事にもなったので知っている方も多いかもしれませんが、先日、非常に興味深い話を聞きました。とある会社では、なんと「欠勤時の連絡禁止」というルールがあるというのです。無断欠勤が許容されるだけでなく、連絡しないことで注意もされないことを徹底するということで、あえて「連絡禁止」というルールを設けているのだとか。

詳細はこちらの記事に書かれています。

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この一見奇妙に思えるルールは、現代社会における「体内時計」と「働き方」の多様性を示唆しているように感じられます。

「怠け」ではない、人それぞれ異なる体内時計のリズム

かつては「朝、決まった時間に起きられないのは怠けているからだ」と考えられがちでした。しかし、近年では科学的な研究が進み、人間の体内時計のリズムは人それぞれであり、生まれつき異なる周期を持つ人がいるという理解が広まってきました。

そして、一部の人々は、その体内時計のリズムが一般的な社会生活のサイクルと大きくズレてしまい、生活に困難を抱えることがあります。これは、多くの規則正しい社会生活を送っている人々にとっては、なかなか想像しにくい現実かもしれません。

単に「睡眠時間が長い」「短い」「ロングスリーパー」「ショートスリーパー」といったレベルの話ではありません。体内時計のズレは、日々の生活そのものに影響を及ぼすことがあります。

  • 朝に寝て、夕方起きるパターン: この場合、毎日同じ時間に起床できるのであれば、まだ対応しやすい方だと言えるでしょう。夜間勤務やシフト制の職種を選べば働くことも可能です。ただし、一般的な日中の就職先は難しい場合が多いでしょう。

  • 24時間徹夜して、24時間寝るパターン: 極端な例ですが、このような体内時計の人も存在します。日通し働いた後、翌日丸一日眠り続けるような生活サイクルです。これでも、ある程度融通の利く仕事であれば、何とか仕事を探せなくもないかもしれません。

  • 毎日生活時間がズレていくパターン(非24時間睡眠覚醒リズム障害など): 体内時計の周期が例えば26時間の場合、ある日午前6時に起きたら、次の日は午前8時、その次の日は午前10時…というように、毎日2時間ずつ起床時間がずれていきます。これは非常に就労が難しくなります。社会の定時という概念から完全に外れてしまうため、一般的な職場での適応は極めて困難です。

  • そもそも予測できないパターン: さらに深刻なケースでは、何時間眠るか、いつ目覚めるかが本人にも予測できない場合があります。こうなると、定まった生活リズムを持つこと自体が困難になり、日常生活を送る上でのハードルが非常に高くなります。

これらの体内時計のズレは、睡眠障害として治療の対象になることもあります。しかし、そもそも生まれつき体内時計の周期が社会の基準と異なっている場合、無理な治療はかえって心身に負担をかけ、寿命を縮める可能性すら指摘されています。自然と社会、どちらを優先すべきでしょうか?

もちろん、社会に適合しにくい体内時計のせいで、本人が強いストレスを感じたり、精神的な健康を損ねたりする場合には、QOL(生活の質)向上のために治療を選択する意義は十分にあるでしょう。しかし、すべての人が一般的な社会のリズムに無理に合わせる必要はないのかもしれません。

「連絡禁止」ルールが示す、新しい働き方のヒント

この「連絡禁止」ルールを設けた会社は、まさに多様な体内時計を持つ人々が、そのリズムに合った働き方をできる環境を提供しようとしているように思います。連絡の義務をなくすことで、体内時計がズレている人が無理に定時に合わせたり、体調が悪い時に無理して連絡したりするストレスを軽減しているのです。

このような働き方は、以下のような新しい視点を提供してくれます。

  • 個人の多様性への配慮: 人間の生理機能には多様性があることを認め、それに合わせて働き方を柔軟に調整する。
  • 「成果」へのフォーカス: 出勤時間や連絡といった形式的なルールよりも、実際に生み出す成果や価値に焦点を当てる。
  • 信頼に基づいた関係性: 従業員が自身の体調や能力を管理し、責任を持って業務を遂行するという信頼の上に成り立っている。

もちろん、このような働き方がすべての業種や企業に適用できるわけではありません。しかし、特定の職種や業務内容においては、固定観念にとらわれず、個々の従業員の特性を活かすための有効な手段となり得るのではないでしょうか。

あなたの職場や組織では、このような「体内時計の多様性」について、どれくらい理解され、配慮されているでしょうか?