drambuieの日記

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朝日新聞にウザ絡みする:2025-09-18 天声人語

毎朝、家の郵便ポストに配達される朝日新聞。2025-09-18の天声人語を読みましたが、読み終わって何か違和感がありました。

違和感の詳細化

私自身、一体何が引っかかっているんだろうか、それを自問自答しました。私自身も歴史や政治の専門家ではないため、しっかりと言語化できません。 まだ曖昧ですが、いったんまとめると、以下の2点となります。

1. 権力から距離を取ることが必要だという表現

(引用) ジャーナリズムとは何か。(中略)(それは)ときの権力に対し、いかなる距離をとっているかである。圧力からも、しがらみからも自由に、ものを言う覚悟である。

ここではジャーナリズムとは何かという本質について、記者の考えが述べられています。ここで気になるのは「距離を取っている」ことが重要だという表現です。

2. 他責の表現を強調してくる点

(引用) 軍部に屈した事実をかみしめる。米国の検閲に筆を折られた無念さを想像する。

ここでは戦前、軍や右翼に圧力をかけられ主張が変化した点、あるいは戦後GHQ朝日新聞が発行停止を受けた点が語られています。 ここで気になるのは、「軍部に屈した」あるいは「GHQに筆を折られた」という他責の表現がとられている点です。

また「屈した」あるいは「筆を折られた」という動詞に対する主語は、新聞記者を想定しているでしょう。戦死者に対するものではない点も気になります。

生成AIの影響

話は少し逸れますが、この回でも気になるのでは、ひらがな表現および、読点の挿入による字数調整です。

ひとりの記者として
きょうという日
もうひとつは、
ときの権力に対し
ものを言う
新聞をつくる

昔の新聞であれば、このような字数を増やす表現はあり得なかったでしょう。今では許容されるのかもしれません。 しかし、極限までスペースを有効活用して字数を切り詰めてでも伝えたいことがある、「限られた紙面でも伝えないといけない」という表現が少なくなってきているようにも感じます。 今回は、この筆者の文章表現のこだわりなのか、AIによる字数調整の結果なのか、どちらなのでしょうか。

過去に、新聞の文字(パソコンで言えばフォントのサイズ)を大きくするということが決定されましたが、その時にも、私は違和感を感じました。 新聞を読む主要な購読者が高齢化しているため文字を大きくする、それはそれで正しいと思います。 実際に見た目は新聞が読みやすくなっているのも事実です。 文字を大きくします、紙のページ数を増やす?それはコスト面でできません、それも分かります。

しかし表現者側から文字数を減らしましょう、文字を大きくしたほうがいいでしょう、文字数はこのぐらいで充分でしょう、 我々もこの文字数以上言いたいことはありません、そういう提案がなされることがなぜか淋しく思いました。

マスコミが権力から距離を取ることなどできるのか

専門家ではありませんが、マスコミが権力から距離を取ろうとするなんてあるのでしょうか。 クーデターがあった場合、すぐに占拠されるのは空港であり、テレビ局や新聞社などマスコミです。 それは自国民、および自国以外への重要なコミュニケーション手段であるからに他なりません。

そこから戦争になった場合、すぐに制限されるのは「移動の自由」です。 戦争になった場合、国境は封鎖され、私たちはほぼ他国に逃げることはできません。そうした囲い込みの中で私たちは戦争に参加しないといけないことを覚悟することになります。(経験者ではないので想像が入ります。)

私たちは権力から距離を置いて発信しよう、そんなことを目指しているマスコミがあるのでしょうか。

衛星テレビ局として、海外に本社を置いてそこから報道するのでしょうか。その場合、何を取材し、何を日本国内に報道したいのでしょうか。 いったい権力から距離を置くとは何を意味しているのでしょうか。

距離を置かなければ物言うことができない、そういう事態になった時点で何か重大な局面を迎えていないでしょうか。

たとえ自分の責任ではないにしても

過去の朝日新聞の記者も、想像ですが、政治家ほどには自分たちが積極的に戦争を推進したというようなことはないでしょう。(多くの政治家ですら、ただ状況に流されただけかもしれません) しかし新聞は戦時中、戦意高揚の記事を多く発信し国民を戦争に送り込みました。 そのため戦争の一翼を担ってしまった、そうした反省の発言が過去には必ずあったように思います。

たとえ、記者個人には全く関係がなく、全く責任もなかったとしても、過去の記者たちは自責の念を感じ、「自社:朝日新聞」の過ち、力不足を謝罪していたように記憶しています。(私の記憶違いで、間違いであれば、誠に申し訳ございません。)

もちろん「戦争を知らない子供たち」に責任を押し付けるのはおかしい、それも正しいと思います。 しかし同時に、これまでの歴史を知ることも大切なことです。

他責の表現を強調してくる記者、これは歴史を学んでいない、知識としては知っていても自分の中に取り込めていない記者が、朝日新聞を代表する天声人語を書く論説委員になっているのか。 そんな疑念を私に抱かせました。