drambuieの日記

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聞く話す:オーラルコミュニケーションが苦手になっていないか?

聞く話す:オーラルコミュニケーションが苦手になっていないか?

現代社会では、メールやチャットが主要なコミュニケーションツールとなり、対面での会話が苦手と感じる人が増えています。これは合理的な面がある反面、言語化できないこと、メッセージのニュアンスを伝える能力が衰えてくる危険性もないでしょうか?皆さんはどう思いますか?

会社におけるコミュニケーションの変化

会社のコミュニケーションは、ここ二、三十年で大きく変わりました。以前は会議や口頭での指示が中心でしたが、今はメールが基本となり、最近ではチャットが主流になっています。

これらの新しいツールには、以下のようなメリットデメリットがあります。

  • メリット
    • 記録が残る: 「言った、言わない」のトラブルを防げます。
    • 非同期のコミュニケーション: 相手がすぐに返信しなくてもよいため、自分のペースで業務を進められます。
    • 文章の推敲: 送信する前に内容をじっくり考えられるため、より正確に意図を伝えられます。
  • デメリット
    • 非言語情報の欠如: 表情や声のトーンが伝わらないため、誤解が生じることがあります。
    • 即時性の欠如: 緊急の要件を素早く伝えるのには向かない場合があります。
    • 関係構築の難しさ: 何気ない雑談が減り、人間関係を築きにくくなることがあります。

コミュ障な医師たち

最近、口頭で医師に話をしても通じないと感じることが増えました。また最近の医師は患者の観察や触診をせず、パソコンの画面だけを見ています。

私は、どうしてもという時は書面を作成し、お手紙として医師に渡すこともあります。例えば薬を飲むとこういう副反応が出る、効果が感じられない、薬を変更してほしい、減らしてほしいというような場合です。書面という明確な形で要求を伝えないと、聞き流されてしまうことが多く、医師に聞こうという態度がないことも多いです。

これは医師が多くの患者を診る必要があり、一人の患者には数分しか相手をしない。そうしないと経営が成り立たないという面があるでしょう。そういう意味では理解できなくもありません。しかし、多くの医師があまりにも受動的であり、自らが主体的に患者を観察しようという意識が欠落しているように感じます。

これは根本的には大学の医学部の教育に問題はないでしょうか?大学に残って研究医になる場合を別にすれば、開業した場合、医師の最も重要な仕事は問診でありコミュニケーションです。自らが主体的に、患者に対して問いを投げかけ、患者の反応を観察する。その問診の技量について大学ではどの程度専門的な教育を学生に施しているのでしょうか。相手は受験を勝ち抜いてきた優秀な学生たちです。それが医師として開業医になると軒並み満足な問診ができていないように見受けられます。

国家資格を持ったプロフェッショナルとしての矜持を示しつつも、患者に寄り添った温かみのある問診を行う。そんなことは民間企業なら、社内教育で当たり前に教えられることです。デパートの店員は理想的に過ぎるとしても、スーパーやコンビニ、飲食店、多くの接客業でも当たり前のように行われている行為と基本はさほど変わりません。そんなことすら教えられていないのでしょうか。

なにもカルテを読み込んで詳細な質問をしろと言っているわけではありません。「お加減はいかがですか?」英語にしたら「How are you?」ただそれだけのことです。そんな問いかけすらできない医師が多すぎます。

現在、病院ではまだ、マスクをするようにお願いされることが多いです。待合室ではそれは分かります。しかし診察室で医師と患者がマスクをしたままというのはあり得るのでしょうか。医師の最も基本的な所作は診察であり、患者を観察して実際に患者の容態を知ることにあるはずなのに、マスクをして表情が見えない中、どうやって患者を診るのでしょうか。そんな基本中の基本も医学部では教えていないのか、と言いたくもなります。

オンライン診療の方がうまくやれるのでは?

ここまで来たらいっそのこと、オンラインで診療したほうが良いのでは、という少し皮肉な考えも出てきます。パソコンの画面で情報を共有し、チャットなど文字ベースのコミュニケーションも併用できる。文字で残れば患者もあとで見返すことができます。なによりマスクをする必要がありません。

コミュニケーション能力は入試で測れるか?

学校教育、特に受験勉強は文字ベースで行われてきました。教科書を読み、問題を解き、筆記試験で成果を出すことに重点が置かれているため、自分の考えを口頭で発話し、相手と対話する訓練は相対的に少なかったと言えるでしょう。この教育システムが、口頭でのコミュニケーションを苦手とする人が増えている一因になっているとも考えられます。

では、面接試験を増やせばいいのかというとそうでもありません。面接は試験官の裁量が大きく客観性に欠けます。数十分の面接で人間力が測れるわけもありません。

過去には、医学部入試で評価を恣意的に操作し、女性や浪人生といった特定の属性を持つ受験生を不利に扱うといった不正問題が明らかになりました。これは、面接が本来評価すべきではない属性を評価する場になってしまったという、不透明な評価基準になりやすかったことが原因です。

コミュニケーション力は入学後に育てれば良く、むしろ入学した後の「教育」でしか育たないものです。「孤独な受験勉強でコミュニケーション力を育てよう」、そんな馬鹿なことは誰も言わないでしょう。そうではなく、孤独な受験勉強ができる能力があるからこそコミュニケーションもできるように成長していくのです。文字ベースで学習でき論理的に考えることができる人であれば、教えればいくらでも成長できる余地があります。

むしろ面接試験がなかった昔の時代の医師の方がコミュニケーション力はあったような感じもします。それは患者の状態をデータ化できるテクノロジーがまだなく、問診に頼る必要があったせいかもしれません。 しかし逆に今の医師は血液検査やCTやMRIなどの検査をしなければ、患者の容態を把握することができなくなっています。またそうした検査で異常が見つからない場合、手の施しようがなく対処ができないケースが増えています。 治療は数値を正常にすることが目的でなく、患者が自身を健康だと感じるようにすることです。その基本的な診療行為の能力が失われつつあります。

未熟さこそ、コミュニケーションの源泉

ここまでコミュニケーションの変化について見てきましたが、失敗を許容せず、完璧を求めすぎることが、かえってコミュニケーションの妨げになっている側面はないでしょうか。 現代のデジタルコミュニケーションは、推敲された完璧な文章を送ることに適しています。しかし、その「完璧さ」が、私たちの「未熟さ」を隠してしまっているとも言えます。

「未熟さ」が創る共感と繋がり

人は、誰しも不完全で未熟な部分を持っています。言葉に詰まったり、うまく説明できなかったり、時には間違ったことを言ってしまうこともあります。こうした「失敗」や「不完全さ」こそが、かえって人間らしさとなり、相手との間に共感を生み出すことがあります。

昔、不祥事が起こった時の雪印乳業の社長が「私は寝ていないんだ」と言ってしまったのは記憶に残る出来事でした。私の会社でも、炎上したプロジェクトで事業部長がお客様に「我々だって頑張っているんです」と発言してしまい、速攻で左遷されてしまったことがありました。これは通常は社会的に、不適切な発言として扱われるかもしれません。でも私はなぜかこのような出来事に親しみを感じてしまいました。

たとえば、口頭でうまく話せない人が一生懸命に言葉を探している姿は、相手に「この人は本当に伝えたいんだな」という真剣さを感じさせ、心を動かすことがあります。(もちろん、例えば東北訛りだとか吃音で素朴さを演出する詐欺師もいるので注意は必要です。)逆に、完璧すぎる話し方や、AIが生成したような無駄のない言葉は、相手に冷たい印象を与え、距離を感じさせてしまう可能性もあります。

オンライン診療のセクションで述べたように、現代の医師は完璧なデータや検査結果に頼りがちです。しかし、患者の表情や声の震え、言葉に詰まる様子といった「不完全な情報」にこそ、病気の真実が隠されていることも少なくありません。患者が「うまく説明できないけど、なんだか調子が悪い」と感じる、その言語化できない未熟さ」に耳を傾け、さらに同時に起こっている体の緊張などの諸反応を観察することが、真の診療につながるのではないでしょうか。

失敗を恐れず、未熟さを受け入れる

完璧なコミュニケーションを目指すあまり、私たちは失敗を恐れ、口を開くことをためらうようになっています。しかし、コミュニケーションは実は失敗の連続で、成功することの方がむしろ珍しいものです。言葉に詰まった経験、誤解された経験、無視され、受け入れられなかった経験、それらを乗り越えることで、私たちはより良いコミュニケーションの方法を身につけていきます。

未熟さを隠すのではなく、むしろそれを開示し、受け入れること。 これこそが、表面的な情報のやり取りを超え、深い信頼関係を築くための第一歩です。デジタルツールが便利になるほど、私たちはあえて不完全な自分をさらけ出す勇気を持つことが、より重要になってくるのかもしれません。

私も苦手な口頭での連絡

とはいえ、私も口頭でのコミュニケーションは苦手です。「会話で伝えられた連絡事項は次の日にはすぐに忘れてしまう」という悩みは、多くの人が共感するのではないでしょうか。これは、文字として記録に残らない口頭での情報伝達の弱点でもあります。話すだけでなく、聞くことにも苦手意識を持つ人がいるのは、特別なことではありません。

私も酒を飲んだ日は聞いたことをほとんど覚えていないため、家族には呆れられつつ、連絡事項はLINEでも送っておいてとか、予定はカレンダーにも書いておいてと頼んでいます。

未来のコミュニケーションは

「これからはアバターが代わりに会話してくれる時代」になるという人もいます。特に仕事における対面のコミュニケーションは大きなストレスです。言いたくもないことを言わなければならないこともあるでしょう。疲れていたり不注意で不適切な発言をしてしまうかもしれません。

そうしたリスクを避けるため、AI技術の進化を利用して、私たちの代わりにAIアシスタントが発言し、相手もAIアシスタントが答える、そんな時代が来るかもしれません。

また、スマートウォッチが私のオーラルコミュニケーションをすべて覚えてくれる技術進歩も期待できます。「昨日、家族に言われた連絡事項を要約して」とスマートウォッチに話しかければ教えてくれる。「奥さんにその話は昨日もしましたよ」とか「昨日、牛乳がなくなったと言ってましたよ、買い忘れはないですか」と教えてくれる。私のボケをサポートしてくれるかもしれません。

このような未来では、なおのこと、肉体的な対面を伴うコミュニケーションを苦手にする人が多く登場するかもしれません。AIのサポートにより失敗しなくなった私たちが、失敗をより恐れるようになる可能性もあります。しかし、逆に対面的なコミュニケーションの貴重性がまし、直接会話できることのプレミアム感が重視される可能性もあります。キーパーソンに直接会うためにはまずAIアシスタントに許可を取る必要がある、なんてことになるかもしれません。

最終的に、人と人との繋がりや、深い共感を求めるような場面では、直接顔を合わせ、生の声を聞くコミュニケーションが、これからも大切な役割を担い続けるのではないでしょうか。