32歳で夭折したバイオリニスト:ユリアン・シトコベツキー (Julian Sitkovetsky 1925-1958)
牛田智大さんのブログを拝見し、そこで紹介されていたCDを聴いて以来、ユリアン・シトコベツキーの音楽にすっかり魅了されてしまいました。
恥ずかしながら、そのブログを読むまで、私はユリアン・シトコベツキーというバイオリニストの存在を知りませんでした。32歳という若さで夭折した、旧ソ連の天才。彼の人生はあまりにも短く、その才能のすべてを世に残すことができなかったのだと思うと、胸が締め付けられます。
牛田智大さんのブログでシトコベツキーを知り、聴いてみたのが始まりです。(https://www.rmf.or.jp/jp/blog/syougakusei-report/2025/08/08/7649/)
シトコベツキーの演奏は、まさしく情熱と気品と、圧倒的な力強さが温かさと直結しているのが特徴的で、聴く者の心を揺さぶります。
短い生涯の中で、彼はどのような音楽を追い求めていたのでしょうか。そして、もし彼が生きていたら、私たちの世界にどんな音楽を届けてくれていたのでしょうか。彼の残した数少ない録音は、そんな想像をかき立てずにはいられません。
※次のセクションは、主にCD『Julian Sitkovetsky Collection』のライナーノーツを参考に作成しています。
天才の生涯と不遇なキャリア
ユリアン・シトコベツキーは、1925年にウクライナのキエフでユダヤ系の音楽一家に生まれました。わずか4歳でバイオリンを始め、8歳でフランスの巨匠ジャック・ティボーの前で演奏、その翌年にはキエフ交響楽団と共演するなど、幼少期から天才的な才能を発揮しました。
その後、モスクワ音楽院でアブラム・ヤンポルスキーに師事し、レオニード・コーガンらと才能を競い合いました。彼の経歴を振り返ると、数々の輝かしい功績と共に、時代の波に翻弄された不遇な側面が見えてきます。
国際コンクールでの不運: 1945年の全ソ連音楽コンクールでは、ピアニストのスヴャトスラフ・リヒテルやチェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチとともに優勝しながらも、バイオリン部門の評価は1位と2位が空席で第3位という不当な評価を受けました。また、1955年のエリザベート王妃国際音楽コンクールでは、誰もが彼の優勝を確信しながらも第2位に留まりました。審査員のユディ・メニューインや、優勝者であるベル・セノフスキー自身が、シトコベツキーこそが真の勝者であったと証言しています。
重要な音楽活動: 彼はチャイコフスキー弦楽四重奏団を結成したほか、ソビエトの作曲家による重要な作品の初演も手掛けました。また、ピアニストのベラ・ダヴィドヴィチと結婚し、二人の息子であるドミトリー・シトコベツキーも著名なバイオリニスト、指揮者となりました。
天才的な技術と不遇な扱い: 彼の才能は、師であるヤンポルスキー教授から「他のバイオリニストが1日かかる大変な仕事を、ユーリクはわずか1時間で済ませる」と称賛されるほどでした。ユリアンの愛称である「ユーリク」と親しみを込めて呼ばれていたことからも、彼の才能が周囲からどれほど評価されていたかが分かります。しかし、彼はモスクワ音楽院の大学院課程への入学を3年連続で拒否されました。妻であるベラ・ダヴィドヴィチが自分の大学院の席を譲ろうと申し出た時でさえ、その願いは却下されました。
32歳という若さで肺がんで亡くなったシトコベツキー。彼の墓石は、バイオリンのネックが折れ、弓が鎖でつながれているという、彼の悲劇的な人生を象徴するようなデザインです。この墓石は、彫刻家エルンスト・ネイズヴェスヌイによって制作されました。彼の墓石を、モスクワのノヴォデヴィチ墓地に関する専門家である歴史家ソロモン・キプニスは以下のように描写しています。
"The neck of the violin is broken off, the right hand with a bow is chained with granite, the line of the pedestal smoothly goes into the grave... The life cut short". (バイオリンのネックは折れ、弓を持った右手は花崗岩に鎖でつながれ、台座の線は滑らかに墓へと続いている…短く切り裂かれた人生)
この描写は、フランツ・シューベルトの墓碑に刻まれた言葉と通じるものがあるとして、しばしば引用されます。
Die Tonkunst begrub hier einen reichen Schatz, aber noch viel schönere Hoffnungen. (音楽の芸術はここに豊かな宝を葬ったが、さらに公正な希望も)
この言葉は、シューベルトの早すぎる死が音楽界にとってどれほど大きな損失であったかを、端的に、そして深く表現しています。そして、この言葉は、ユリアン・シトコベツキーの悲劇的な人生にも全く同じように当てはまるのではないでしょうか。
彼の音楽が語りかけるもの
『Julian Sitkovetsky - Collection』収録の、シベリウスのバイオリン協奏曲は、彼の音楽が持つ独特の魅力を存分に感じさせてくれるものでした。北欧の広大な自然の冷たくも美しい旋律が、シトコベツキーの奏でる音色によって、深く心に響いてきます。
この演奏で特徴的なのは、彼がほとんど音を区切らず、長いフレーズを表現していることです。まるで深い森や湖、そこをどんどん奥に進んでいくような、果てしのない自然の広がりを感じさせます。しかし、フレーズが長いからといって単調になることはありません。音が途切れることなく続いても、常にニュアンスがあり、表現の意図が曖昧になることはありません。
彼はこの協奏曲で何を言いたかったのでしょうか。一人の無力な人間という視点から、広大な自然に放り込まれたような、自身の進むべき道の途方もなさを表しているようにも感じられます。しかし、シトコベツキーの演奏で他の演奏者にはない独自性として面白いのが、その演奏世界(自然とシトコベツキー)には存在しないはずの他者に対しても、なぜか強烈なエールを送ってくるという点です。周りに誰ひとりない孤独な自然の中でも、「私はここで歌っている」「私はここに立っている」シトコベツキーのたくましく圧倒的な音圧から、聴いている我々へ伝えたいというエネルギーが強烈に迫ってきます。
シトコベツキーが残した録音は、彼の短い人生の輝きを永遠に閉じ込めています。彼の演奏を聴くと、単なる技巧を超えた、人間としての深い感情が伝わってきます。そこには喜びも悲しみも、希望も絶望も、すべてが凝縮されているようです。
彼の演奏は、いかなる作品も豊かな倍音を持つロマンティックな響きで彩られました。技巧に裏打ちされた勇気とインスピレーションは、素朴な小品さえも多面的な傑作へと昇華させます。シトコベツキーの録音は早世のため数は少ないものの、その超絶技巧と豊かな情感は高く評価されており、小品以外にもハチャトゥリアン、グラズノフ、ショスタコーヴィチの協奏曲の解釈は特筆に値します。
妻ベラ・ダビドビッチ(Bella Davidovich)との共演
彼の妻ベラ・ダビドビッチのピアノ伴奏は、夫婦ならではの阿吽の呼吸を感じさせ、素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれます。(アゼルバイジャン出身のユダヤ系ピアニスト。 第4回ショパン国際コンクール第1位)
良く知った仲のリラックスした雰囲気がありつつも、バイオリンとピアノの調子に一切のぶれがない。 録音の関係でバイオリンの近くにマイクがあったのだと思いますが、バイオリンが素晴らしければ素晴らしいほど、背景にあるピアノのタッチを聞きたくなってしまう、そんな演奏です。
お互いを信頼し調子を合わせながら、しかし時には刺激的な挑発も楽しむ。からかいあうような場面も垣間見え、短い間だったのかもしれませんが、夫婦仲は良かったのではないでしょうか。手前勝手な想像ですが、それだけでも少しホッと感じるところがあります。
彼の死後、20年以上経ってからメロディヤから発売された録音集は、多くの人々にとって真の啓示となりました。そのジャケットについてベラ・ダビドビッチが語った「カバーに若いハンサムな男性、偉大なバイオリニスト—そして彼はもういない」という言葉、いとおしみとやるせなさを感じさせます。
シトコベツキーは、短い人生ながらも音楽の世界に消えることのない足跡を残しました。彼の演奏を聴くことは、彼の短い生涯を追体験することなのかもしれません。そして、彼の残した音楽を通して、私たちは彼の魂と対話することができるのです。
【主な録音アルバムの紹介】
- Julian Sitkovetsky - Collection (2020)
- 彼の代表的な録音をまとめたコンピレーション(編集された構成の)・アルバムです。CD2枚組。
- 次に挙げるシリーズより音質は良いようです。どの程度デジタルリマスターが行われたのか?は把握していません。
- The Art of Yulian Sitkovetsky シリーズ
- 彼の録音を集めたシリーズで、Vol.1からVol.5まで存在し、それぞれ異なる作品が収録されています。
- 『The Art of Yulian Sitkovetsky Vol. V』には、ショスタコーヴィチのバイオリン協奏曲第1番が収録されています。