どこか分からなくなる不思議:巨大ショッピングモール
まあ、どうでもいい話なのですが、いつも不思議な気分がするので書き留めておきます。
ここはどこのショッピングモール?
「ららぽーと」や「イオンモール」などが典型的ですが、各地に巨大なショッピングモールがあり、それらは驚くほど似たような構造になっています。
3階建てぐらいの低層構造で、中央には巨大な吹き抜け。ガラス張りの手すり。見上げれば空が見えるような開放感。それらは日常を忘れさせる「非日常感」を演出しています。
私も数か所、そうした似たようなショッピングモールに行った経験がありますが、ふとした瞬間に立ち止まると、 「あれ? 今、自分はどこのショッピングモールにいるんだっけ?」 と、少し不思議というか、怖くはないけれど、ふわふわとした地に足のつかない不安な気分になります。
また時々、間違える
「確かここら辺に地酒の店があったよな」と、何となくのイメージでその場所に向かうと、あれ?ない……。
実はそれは別のショッピングモールの記憶でした。
全体的な構造は似ていますが、テナントの構成はちょっとずつ違ったり、でもユニクロやスターバックス、カルディといった「どこにでもある店」は共通して同じ場所に鎮座していたり。脳内の地図がバグを起こして、なんだか混乱してしまいます。
心理学的には?:脳が「ショートカット」している
この現象には、心理学的な理由がいくつか考えられます。
- スキーマ(認知の枠組み): 私たちの脳は、効率化のために「ショッピングモールとはこういうものだ」という共通の雛形(スキーマ)を持っています。吹き抜け、ガラスの柵、等間隔に並ぶテナント。その記号が揃いすぎているため、脳が「あぁ、いつものあの場所ね」と細部の違いを無視して処理してしまうのです。
- 「非場所(ノン・プレイス)」: フランスの人類学者マルク・オジェは、空港や高速道路、巨大商業施設のように、その土地固有の歴史や人間関係が希薄で、世界中どこへ行っても同じようなサービスが受けられる空間を「非場所(ノン・プレイス)」と呼びました。そこは、自分が「誰であるか」や「どこにいるか」というアイデンティティを一時的に忘れさせる、匿名性の高い空間なのです。
デジャブのような違和感の正体
「地酒の店があるはず」という記憶の混濁は、心理学で言うところのソース・モニタリング(情報源の特定)のミスです。
特定の場所の記憶として保存されるはずの情報が、「巨大モール」という抽象的なカテゴリーの中にひとまとめに放り込まれてしまうため、A店とB店の記憶が脳内でシャッフルされてしまう。どこにでもあるチェーン店の看板が、その混乱に拍車をかけます。
私たちは「記号」の中を歩いている
巨大なショッピングモールにいるとき、私たちは現実の土地を歩いているというより、高度に計算された「消費のシステム」という記号の中を歩いているのかもしれません。
次に「あれ、ここはどこだっけ?」と不安になったら、それはあなたの感覚がおかしいのではなく、むしろ「脳が最適化を行い過ぎているサイン」だと言えるでしょう。
たまには、あえて道が狭かったり、床がデコボコしていたりする「不便で個性的な地元の商店街」を歩いて現在地を確認したくなるのは、失われかけた「場所の感覚」を取り戻そうとする本能的な反動なのかもしれません。
