突発性難聴:入院生活、病院組織と看護師たち
入院生活では、病気そのもの以上に「病院という組織」の生々しさを目の当たりにしました。
ただ、これは今回、私が入院した特定の病院を非難するものではありません。現場の皆さんが24時間、真摯に対応している姿には頭が下がりましたし、以降で指摘する問題点はどの病院にも共通して存在するものと考えます。
差額ベッド代をめぐる攻防
入室時、病院側からこう言われました。
「病室に空きがなく二人部屋になります。差額ベッド代(3,300円)がかかりますが、ご了承ください」
私はこう返しました。
「病院側の都合で希望していない部屋に入る場合、差額ベッド代を支払う必要はないはずでは?」
「当院では一律でお支払いいただいております」
「それは国の指針(厚労省の通知)に矛盾していませんか?」
「上に確認します」と言い残して去った看護師。結果、差額ベッド代は無料になり、その後、本来希望していた4人部屋へと移動しました。言うべきことは冷静に伝えるべきだと再確認した出来事です。
差額ベッド代(特別療養環境費)については、厚生労働省より「患者に求めてはならない場合」として明確な通知が出ています(通知:平成18年 保医発第0313003号、令和6年 保医発0327第10号)。具体的には以下のケースです。
- 同意書による同意がない場合
- 治療上の必要により特別療養環境室へ入室させた場合
- 病棟管理上の必要により入室させた場合(空き病床がない場合など)
今回のケースは明らかに「3」に該当します。しかし、病院側はこの公的な指針を説明せず、当然のように同意を求めてきました。同意を得れば「1.」により問題ないという姿勢です。これは特定の病院に限った話ではなく、残念ながら多くの医療機関で常態化しているのが実情です。
以前、家族が入院した際は、支払いを拒否することで「病院側の対応が悪くなるのではないか」と不安になり、強く言えずに支払ってしまった経験があります。今回はたとえ対応が悪くなっても、私自身が何とかすればいいと考えて、強気に出てみました(もちろん病院からその後、悪い扱いを受けたというようなことは一切ありません)。
医療という、患者側が「弱気」にならざるを得ない状況に付け込み、誠実な説明を欠いたまま請求を行う姿勢には、強い疑問を抱かざるを得ません。
「せん妄ハイリスク患者ケア加算」と見えないカレンダー
退院時の診療明細書を見ていたら、見慣れない「せん妄ハイリスク患者ケア加算」という項目がありました。
これは、70歳以上の高齢者、認知症、感覚器の障害(難聴・視力障害)など、医学的に「せん妄(意識の混乱や幻覚)」を起こすリスクが高いと判断された患者に対し、病院側が特別な予防的ケアを行った場合に発生する点数のようです。
この「予防的ケア」の象徴として、病室には一枚のカレンダーが貼られていました。
本来、カレンダーは患者が「今がいつか」という時間感覚(見当識)を維持し、混乱を防ぐための重要なツールです。ところが、そのカレンダーは4人部屋の奥に貼られており、カーテンを閉めると、どの病人からも、その日付を確認することはできない位置にありました。「今、ここ」という現実を繋ぎ止めるための道具は、誰の目にも触れない場所で、ただそこに「掲示されている」という既成事実のためだけに存在していたのです。
機能しないカレンダーと、自動的に加算されるケア点数。ちょっとむなしい気持ちになりますね。
看護師たちのリアル
多くの患者を抱えるマルチタスクで、ストレスフルな現場ゆえか、対応の「いい加減さ」が目につく場面もありました。
- 入院準備の連絡を「した」と事実に反する適当な報告をしていた人
- 点滴時刻を尋ねると適当に答え間違えて、同僚に指摘されると謝罪もなく黙り込む人
- ストレスからか、患者に「あなた意地悪だよね」と捨て台詞を吐く人、患者のすぐ側にいるのに、その患者への愚痴を仲間内でしゃべる人たち
もちろん、患者側も相当に身勝手な振る舞いをしているケースが多いのですが、プロの現場としては危うさを感じる場面がありました。
※看護師ではなく、後述する「看護助手」だった可能性もあります。
病院を支える人々
医師、正看護師・准看護師、そして看護助手。現場は階層構造になっています。
男性看護師の視点
個人的な印象ですが、男性看護師の割合はもう少し多い方が良いと感じます。調べてみると、看護師全体の男性比率はまだ8%程度だそうです。10人に1人もいない計算になりますが、現場を観察した身としては、このバランスがもう少し改善されることで、介助の質の安定や、現場特有の人間関係の緩和にもつながるのではないかと感じました。
女性看護師は介助の際に力不足を勢いでカバーしようとして少し雑になることがあります。男性看護師は力に余裕があり、頼んだことも忘れずにすぐ実行してくれる率が高いように感じました。女性看護師よりもどちらかというと寡黙に淡々と業務をこなしているイメージです。優先順位の付け方や、異性患者との相性の問題もあるのかもしれません。うるさい患者は男性が多いのですが、その男性患者も、男性看護師には文句を言いません。
私は誤解していたのですが、高校卒業後に看護学校へ行った場合は正看護師になるようです。准看護師の場合、中卒から准看護師養成所や高校の看護科というコースになるようですが、そうした教育機関は減少の一途のようです。
現在、病院では准看護師はほとんどおらず、将来的には制度的に廃止する方向だといいます。これは医療が高度化し、すべての看護師に一定以上の専門知識が求められるようになったからです。
看護助手とは
看護助手(看護補助者)は、看護師のような国家資格を持たず、主に患者の療養上の世話(食事、入浴、排泄の介助など)や病室の環境整備、伝票の運搬などを行うスタッフです。医療行為を行うことは法律で禁じられており、あくまで看護師の指示のもとで業務を行います。
しかし入院中、一度、知識が十分ではないはずの看護助手が独断で点滴のスピードを調節しようとした場面に遭遇し、驚きました。
専門職の境界線が曖昧になっているリスクを感じました。
看護師に指摘したところ、謝罪されました。
「トップ3」とうるさい患者たち
病棟には「トップ3」と呼ばれる、看護師への文句が絶えない有名な患者たちがいました。
おむつ交換、たん吸引など介助の時に「痛い」「乱暴にするな」「やめろ」などと文句を言ってしまいます。
不思議なことに、彼らの家族の面会は何故か大勢で騒がしく、家族一同が一度だけ大挙して押し寄せ、一度来たら、それっきり来なくなる……といった光景も、病院という場所の人間模様を映し出していました。
マスクが奪うコミュニケーション
病院内でのマスク着用は、コミュニケーションにおいて致命的です。
「この人が誰なのか」が判別しにくい状態は、特に認知機能が衰えている人にとっては、多大なストレスと混乱を招いているのではないかと危惧します。
私も入院中、看護師さんたちを識別できず、よく分からないまま、色々な人が入れ替わり立ち代わりやってくるという感じで、すこし落ち着きませんでした。
もちろん看護師さんたちも、自分たちが顔を覚えられて、あとでストーカーされるみたいなことは嫌かもしれません。感染症リスクのため、マスクが必要なこともわかります。
ただ、認知症やせん妄に対しては、悪影響を及ぼすように思うので、
たとえば、患者の名前を呼びかけるだけでなく、自分の名前も(本名でなくても構いませんが)積極的に伝えるようにするとか、大きな名札を付けるとか、
一日二交代制の業務を開始する最初だけは、顔出しをするとか、何か対策があってもいいように思いました。
看護師たちが自らの行為の意図を説明しないことも多いです。「XXです。今、朝の4:00でおむつを見に来ました。汚れているようなら交換します。」「XXです。朝10:00で体を動かす時間です。ちょっとだけでも体位を変えたり、足を曲げたり、起きたりしてみましょう」。もちろん説明しても患者に伝わることはないのかもしれません。しかし、名を名乗り、来訪の目的を告げる、人間同士が尊重すべきプロトコルがあるはずです。
従順な人を求める社会への違和感
入院生活を通じて感じたのは、社会全体が「健康で、反抗せず、指示に従う平均的な人間」を求めているという風潮です。
思想家のイヴァン・イリイチは、専門家によるサービスが普及することで、かえって人間が本来持っていた「自分たちで暮らす能力」を奪われていくプロセスを指摘しました。病院という場所もまた、専門家が「客(患者)」を自分たちの監視下にある「無報酬の助手」として管理する装置のように見えます。
社会の進歩を一部の技術者に委ね、残りの人々はただ従順な「客」であることを強いられる。そんな現代社会の歪みを、病室という閉ざされた空間で再認した気がします。
サービスのエキスパートたちが、人々の面倒を見ている。あらゆる領域で、これらの専門家たちは、素人言い換えると客を、自分たちの監視のもとに、無報酬で働く助手として引き入れようと躍起になっている。
(イヴァン・イリイチ『シャドウワーク』より引用)