60歳からの投資戦略:あらかじめインフレを考える
前回、暴落について考えましたが、もう一つ、60歳からの資産運用で想定したいのが、インフレリスクです。
例えば、あなたが毎月の生活費を10万円と想定して、老後の生活資金を準備して、リタイアしたとします。しかし、インフレで物価が上昇すると、必要な生活費が11万、12万と上がってしまうかもしれません。もし物価が年率2%で上昇し続ければ、20年後には約1.5倍の生活費が必要になります。せっかく貯めたお金も、実質的な購買力が低下してしまうのがインフレリスクの本質です。
極端なインフレの事例
インフレの恐ろしさを知るために、極端な例としてハイパーインフレの事例を挙げましょう。
有名なのは、アフリカのジンバブエです。2000年代に経済の混乱や過度の紙幣発行が原因でハイパーインフレが加速し、ピーク時には年率2億3,000万%(公表値)という途方もない物価上昇を記録しました。最終的には「100兆ジンバブエドル紙幣」が発行される事態になり、自国通貨の信用が完全に失われました。これにより、人々の貯蓄は文字通り紙くずとなり、経済は大混乱に陥りました。
幸い、日本でジンバブエのようなハイパーインフレが起こる可能性は低いですが、「お金の価値が急激に目減りする」状況は、老後の生活設計において最大の脅威の一つです。
では、デフレならいいのか
物価が下がるデフレは、一見すると60歳以降の生活者にとっては、手元の現金の価値が上がっていくため、良いことのように思えます。物価が下がれば、少ない金額で同じものが買えるからです。
デフレには二種類あります。 一つは、技術革新や生産性の向上によって、質の良いものをより安く作れるようになった結果の「良いデフレ」です。これは生活者にとって歓迎すべき変化です。
しかし、かつての日本が経験したように、景気の悪化により企業の売上が伸びず、需要が低迷しているために起こるデフレは、決して良いこととは言えません。
この「悪いデフレ」は経済全体を縮小させ、景気の悪化と密接に結びついています。
- 企業の業績悪化:物価が下がる(売上が伸びない)と、企業の利益は圧迫されます。
- 賃金の低下・雇用不安:企業業績が悪化すれば、賃金は上がらず、雇用も不安定になりがちです。
- 株価の低迷:企業の利益が出ないため、株価も上昇しにくい状況が続きます。
老後であっても、年金生活を支える現役世代の経済が縮小すれば、社会保障制度の維持にも影響が出かねません。また、資産の一部を株式などのリスク資産で運用している場合、株価が上がらないデフレ環境は資産増加の期待が持てず、結果として資産寿命を縮めることにつながりかねません。
なぜ金融政策は緩やかなインフレを目指すのか
日本銀行などの主要国の中央銀行は、現在、年率2%程度の緩やかなインフレを目標に掲げています。デフレでも極端なインフレでもない、なぜこの「緩やかなインフレ」が良いとされているのでしょうか。
その最大の理由は、「経済成長の実現」と「金融政策の余地の確保」にあります。
- 経済成長の実現:緩やかなインフレは、企業が適度な利益を上げ、賃金も徐々に上昇するという「好循環」を生み出します。例えば、農作物の値段は急激に変動せず安定しているほうが良いですが、農家の方も手取りが少しずつ増えたほうがうれしいでしょう。理想的には品質を向上させながら、値段も徐々に上がっていくのが望ましいのです。この感覚が「自分たちの生活や経済が成長している」という前向きな心理を生み出し、消費や投資を促します。
- 金融政策の余地の確保:物価上昇率が高いほど、名目金利や中立金利が高くなるため、景気後退時などに金利を引き下げる「のりしろ(余地)」を確保しやすくなります。デフレやゼロ金利に近い状態では、金融政策で景気を刺激する手段が限られてしまいます。
インフレを過度に恐れる必要はないが、備えは必要
インフレと聞くと恐怖を感じるかもしれませんが、冷静になることも重要です。通常、景気拡大に伴う良いインフレの場合、物価の上昇に金利も連動して上昇するのが経済の原則です。金利が上がれば、預金や債券の利回りも上がり、現金の目減りを一部相殺してくれます。
しかし、必ずしもすぐに金利が追従するとは限りません。特に、経済成長を伴わない物価高(スタグフレーション)の状況では、国民生活は苦しくなりがちです。
さらに、日本特有の事情として、日本は国債が大量にあるため、政府・日銀は金利変動に慎重にならざるを得ません。金利が少しでも上昇すると、国債の利払い費が急増し、国家財政を圧迫するからです。この「腰の重さ」により、経済の実態に応じて機動的な金利変更がしにくくなる可能性があります。
このように、インフレが発生しているにもかかわらず、金利が上昇せず、また景気が悪いため株価も上昇しないという最悪のケース(日本型スタグフレーションのリスク)を考えると、やはりある程度の備えをしておく必要があります。
過去の日本の物価とインフレ率、金利
インフレリスクへの対策を考える上で、過去の日本の状況を振り返っておきましょう。超低金利の状況下で、物価と金利がどのように推移してきたのかをまとめてみます。
日本の消費者物価指数(CPI)は長期的に上昇していますが、特に1990年代後半からの「失われた30年」においては、物価の伸びが止まり、金利も極端に低い水準で推移しました。
| 年代 | 政策金利(無担保コールO/N物レート)目安 | 長期金利(10年国債利回り)目安 | 消費者物価指数(CPI) 前年比 | 経済環境の概況 |
|---|---|---|---|---|
| 1980年代後半 | 4~6%台 | 5~7%台 | 1~3%台 | バブル景気。金利もインフレ率も高水準。 |
| 1990年代後半 | 0.05%前後 | 1~2%台 | 0~-1%台 | バブル崩壊後。金利は急低下し、デフレ期に突入。 |
| 2000年代 | 0%~0.5%未満 | 1~2%台 | -1%~0%台 | ゼロ金利政策。物価は停滞~マイナス。 |
| 2010年代 | 0%~0.1%未満 | 0%台 | -0.5%~1%台 | 異次元緩和。金利は極めて低く、物価も低迷。 |
| 2020年代前半 | 0%~0.1%未満 | 0%~1%前後 | 2%以上(一時的に) | 金融緩和継続。世界的なインフレで物価が上昇傾向。 |
(注) 政策金利・長期金利は各期間の傾向を示すものであり、特定の時点の数値ではありません。
この表から読み取れる重要な教訓は、超低金利の状況下では、たとえ緩やかなインフレであっても、預貯金の利息だけでは資産の目減りを防ぐことは不可能だということです。物価が上昇しても、金利の上昇は緩慢になるリスクがあり、「実質金利がマイナス」の状態が続くことが、老後資産の寿命を縮めます。
で、結局、あらかじめできる対策は?
60歳からの資産運用において、インフレリスクに備えるための対策は、超低金利の現状では預貯金以外の資産も保有することです。
- ある程度のリスク資産は保有しておく
インフレに強い資産の代表は、株式や不動産などの実物資産(リスク資産)です。
- 株式:インフレにより企業の売上や利益が伸びれば、株価は上昇する傾向があります。インフレに対応できる収益力を持つ企業の株を保有することは、現金の購買力低下を防ぐ有効な手段です。
- 海外資産:日本円以外の資産を持つことで、円の価値下落(円安)リスクや、日本国内の物価上昇率に資産価値が連動しないリスクを分散できます。
- 実物資産:金や一部の不動産なども、インフレ局面で価値を維持しやすい傾向があります。
老後だからといって全資産を現預金にするのではなく、生活に最低限必要な資金以外は、リスク資産として国内外に分散投資しておくことが、インフレによる実質的な資産目減りを防ぐための鍵となります。自身の許容度に応じて、資産の目減りを防ぐ(インフレから資産を守る)ことを目的としたポートフォリオを構築しましょう。
- インフレ手当の「労働」も選択肢に
現役時代の延長として、無理のない範囲で労働を続けることも有効なインフレ対策です。収入があれば、取り崩す資産を減らせるだけでなく、物価上昇による生活費の増加を直接カバーすることができます。
インフレは避けられないリスクですが、あらかじめ戦略を立ててリスク資産を組み込むことで、老後の資産寿命を延ばすことができるでしょう。